二片



空は快晴。

風は穏やか。

遠くから響く波の音はまるでその場に居る者達を眠りに誘うのが目的であるかの如く暖かい。

それも当然。

ここはエヴァンジェリンが別荘と称している異空間なのだから、心地良い空間でない訳が無い。

故に、仕方が無いだろう。

数分前まで修行と言う名の元に肉体を酷使していたネギが、小休止だと言うのにビーチチェアの上でうつらうつらとし始めていたとしても。

「あ〜、ネギ君、こないなところで寝たらあかんて。
 ちゃんとベッドで寝な身体休まらへんよ?」

「ん〜、はぁい」

そんなネギの様子に気付いたこのかがそっと声をかけるが、よほど疲れているのか寝惚けたような声で答えを返すだけで動こうとはしない。

ネギが疲れていると言う事は、修行の様子を魔法の練習の合間に横目で見ていたからわかっている。

だからこそもっとちゃんとしたベッドで休ませてあげた方が良いのではと思うが、このままここで休ませてあげた方が良いのかもしれないと言う思いも頭に浮かび、このかは悩む。

まだ眠りの浅い今ならば肩を揺すりながら少し大きな声で呼びかければ目を覚ますだろうし、このかには少しキツイがこのまま抱いてベッドまで運んでも良い。

取れる手段、取るべき手段が幾つもあるが故にこのかが悩んで入ると、クイ、と軽く服の裾が引かれた。

「え?」

何事かと視線を下に向けると、そこには小さな手があった。

硬く握り締めれば悪魔だってやっつけるのに、そんな事が出来るとは思えぬ小さく幼い子供の手。

ネギの手が、そっとこのかの服の裾を握っていた。

それはとても、とても弱々しい力で。

振り払ってしまえば、あっさりと振りほどけてしまう弱々しい力で。

まるで幼い子供が母親の愛情を無意識に試すような、そんな力で。

「ホンマ、ネギ君は甘えんぼさんやな〜」

小さく微笑んで放さぬようにとそっと手を握り、ビーチチェアの空いたところに腰を下ろす。

身近に感じる人の温かさ故にか小さく安堵の微笑を浮かべたネギの髪の毛をそっと撫で、このかも微笑む。

「あ、このか〜、何やって……」

「ひゃ、アスナ、シーッ」

大きな声での呼びかけに驚き、軽く肩を竦ませながら声の主に向かって人差し指を立てて静かに、とジェスチャーを送る。

振り返った先に居るのは明日菜と刹那。

先だっての悪魔強襲の際、まともに対応する事も出来ずに囚われた事を問題に思い修行していた二人も休憩の為にこちらに来たのだろう。

「ん? って、何こんなところで寝てんのよ、ネギ」

「仕方がありませんよ、ネギ先生もお疲れなんでしょうし」

首を傾げながら近付いた二人は、ビーチチェアで寝息を立てるネギを見下ろして苦笑交じりにそんな小声で言葉を交わす。

必死になる理由がわかっているだけに、笑ってはいても苦い何かが混ざっているのだが。

「あ、せや、アスナ」

「ん、何?」

そんな二人を見ていたこのかが、ふと楽しい事を思い付いたと言う表情を浮かべ、呼びかける。

「今日は子守唄、唄ってあげへんの?」

「なっ、わ、私は別に毎日唄ってあげた……むぐぅ!?」

「ちょ、アスナさん、ネギ先生が起きてしまいますよ」

突然の大声に慌て、明日菜の口を押さえながら刹那が言うと少し落ち着きはじめる。

『姐さん、もしかして同じ部屋で寝てる俺らが気付いて無いとでも思ってたのか?』

「んむーー!!!」

呆れ交じりに呟いたカモの言葉で即座に再燃する事になるのだが。

「ホンマ、アスナは照れ屋さんやなぁ」

どたばたと暴れる明日菜とそれを押さえ込む刹那を見、寝苦しそうに少し顔を顰めながら寝返りを打つネギを見ながら声にならない小さな声で『しゃあないなぁ』と呟き、ゆっくりと息を吸い込む。

そして、唄が紡がれる。

決して大きな声では無いのに、誰の耳にも届く唄が。

知らずとも、その意を伝える暖かな唄が。

子守唄が響く中、我知らず明日菜を押さえる刹那の手が緩み、抜け出し行く。

そんな刹那を一瞬不思議そうに見、まだ何か言い足り無さそうにしながらも仕方が無いと一つ溜息を吐いてこのかの唄に合わせて唄い出す。

横目にネギの寝顔を見てしまったから。

心地良さそうな、気持ち良さそうな寝顔を。

自分の子守唄でなく、このかの子守唄でそんな寝顔を見せるネギを見てしまったから。

無意識の不満。

無自覚の愛情。

その愛情がどんな意味を持つのかは誰にもわからぬが、ただ、その想いの篭った唄が紡がれる。




刹那は唄う二人を、心地良さそうに眠るネギを見てその顔に微笑を浮かべる。

昔を懐かしむ、柔らかな微笑を。

子守唄に身を委ねるように、全身から力を抜き瞼を下ろす。

懐かしき思い出に、身を委ねる為に。







桜咲刹那は怯えていた。

どうしようもなく、怯えていたのだ。

味方は居た。

普通の子供として扱ってくれる大人が居た。

だがそれはほんの一握りの大人だけで、他の大人や子供は違う。

皆が知って居り、それを口にする。

異族の子だと。

人とは違うモノとの合いの子だと。

その中でも更に外れた化け物だと。

口にせずとも態度に示した。

近寄らず、

距離を取り、

観察された。

そして、厄介払いされるようにその集団の場から放出された。

最初は鳥族の里。

次は神鳴流の本部から。

向かった先は関西呪術協会本部。

だが、実際は厄介払いなどではなかった。

数少ない刹那をただの女の子の刹那として見る数少ない大人により、才を見出されたのだ。

重要人物の護衛任務。

本来ならば大人に任されるような仕事を与えられ、慣れぬ場に連れ出され、違うモノを見る目で見る同年代の少女の前に連れてこられたのだ。

怯えない訳が無い。

結論から言えば、それはただの杞憂でしかなかったが。

少女は、奇異なモノを見る目はしなかった。

少女は、距離を取るどころか一歩踏み出して来てくれた。

少女は、異端である刹那の手を取ってくれた。

他の子供達がしている、普通の事。

刹那にとっては永遠にする事が出来無いと思っていた、普通の事。

そんな普通の事が嬉しくて、刹那は少し泣いてしまった。




二人は年も近く、相性も良かったのかすぐに仲良くなった。

四六時中一緒に居て、遊び回っていた。

それは、そんなある夜の出来事。

仲の良くなった子供が泊まりがけで遊ぶ。

別段不思議な事でも何でもない。

最初は楽しかった。

一緒にお喋りをして、お手玉をしたりして遊んでいる内は良かった。

だがそれも電気を消し、眠ろうと静かになるまでの事だった。

友人であろうとも、そこには護る者と護られる物と言う違いがあると言う事。

初めての泊まりがけの遊びと言うことで少し緊張していたと言う事。

そして、刹那に悪夢を思い出させる水音がこの部屋には聞こえて来ると言う事。

居場所が無くなり、逃げ込んだ先で聞いた水の音。

何度毟り取っても消えてはくれぬ白い羽。

他との違いを明確にする、周囲を覆いつくすような真っ白な羽。

悪夢が、蘇る。

水の音が囁きかける。

『ここは、お前のようなモノが居て良い場所じゃない』

舞い散る白い羽が明確に伝えてくる。

『化け物』

どうする事も出来ない悪夢が、幼い少女を責め苛む。

怖かった。

どうしようもなく、怖かった。

隣に居る少女も、自分の正体を知ったら責めるのでは無いか?

他の皆と同じような目で自分を見るようになるのでは無いか?

また、一人になってしまうのではないか?

そんな中、布団に包まり恐怖に震えていた身体が抱き締められた。

優しく、抱き締められた。

そして、唄が響き出す。

意味など分からぬ異国の唄。

ただ、大丈夫だと、

守ってあげると、

安心して眠りなさいと伝える優しい唄が。

優しい、子守唄が。







そして、今もその唄は紡がれる。

自分の為では無いが、何処か似ている子の為に。

頑なで、

必死で、

色々と間違えながらも駆け続ける子の為に。

まだ幼く弱いのに、誰かの為に限界など無視して無理を繰り返す子の為に。

ふと、微笑が深くなる。

そんな子が、自分にとっても大切なのだと。

一番大切なのはこのちゃんだと、そう言えるのに。

同じ位大切な人なのだと、そう思ってしまっている事に気付いたから。

だからだろうか?

子守唄を自然と唄い出していた事に驚きもせず、ただ納得したのは。

だからだろうか?

穏やかに眠る少年が何よりも愛しく見えたのは。

だからだろうか?

その唄が、とても優しいのは。




そんな穏やかな時は唐突に終りを告げる。

告げたのは、やる気の無さそうなぱちぱちと言う拍手。

「……そろそろ再開したいんだが、満足したか?」







明日菜の絶叫で目を覚ましたネギが目にしたのは、笑いながら明日菜をあしらうエヴァンジェリンと、赤面して凝固した刹那。

そして楽しげに笑うこのかと、困った顔で周囲を見回す茶々丸の姿だった。




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