一片



悪夢とも言える出来事は、終りを告げた。

結論から言えば、ネギと小太郎が多少怪我を負っただけで事件は終結を見る事となった。

明日菜達を捕らえたスライムは再び封印され、ヘルマンと言う名の悪魔は魔界へと送還された。

囚われて居た明日菜達は、囚われただけで一切の怪我も無かった。

ネギと小太郎の傷にしても打ち身や多少の切り傷程度で、このかのアーティファクトを使うまでもなくネギの魔法で治癒してしてしまえるモノ。

簡単な治療が済んでしまえばヘルマンがどのようにして封印を解かれたかなどの調査やステージ一帯の修理を含め、処理を学園長に任せてしまうしかない。

すべき事を全て終え、気絶して目を覚まさない千鶴を皆で部屋に運び込んだ後、疲労故にか皆一様に各々の部屋へと戻って行く。

「じゃあ皆さん、おやすみなさい」

「おやすみ〜って、ちょっと、ネギ、アンタはどこ行くのよ?」

「え、あぁ、僕は学園長に報告しなきゃいけませんから、ちょっと学園長の所に」

頭を下げて明日菜達とは別の方向に向かおうとするネギを呼び止めると、一瞬キョトン、とした顔をしてそう説明する。

子供らしからぬ大人びた判断と言えるが、そこはネギの事。

誰も違和感を覚えたりはしない。

が、だからと言ってそれを皆が受け入れられる訳も無い。

ネギが無茶をしたのだと言う事は理解しているし、何よりもこの場に居る面々がネギの過去を知ったのはつい数時間前なのだから。

「……って、え、な、なんですか、明日菜さん!?」

だから、無言でネギを捕まえて、歩き出す。

「ウルサイ、アンタ無茶したんだから、今日はさっさと寝て明日報告すれば良いでしょ!!」

「え、いえ、でも僕、報告……」

「いいから、どれだけ身体鍛えて強くなったってアンタが子供だって事にかわりは無いんだから、今日はさっさと寝て、報告は明日!!」

「えぅ、は、はい」

「じゃ、皆、おやすみ」

「「「おやすみ〜」」」

それぞれ語尾が違えどおやすみと告げ、三々五々に散って行く。

明日菜達が去り際にさりげなくネギを気遣う目線を交わし、頷きあっている事にネギは全く気付かない。

落ち着き無く怯えたような視線を周囲に向け、何かしていなければ不安で仕方が無いと無意味に手を握り締めたり解いたりを繰り返しているネギの姿は酷く痛々しい。

だから、明日菜はあえて何時も以上に乱暴にネギを扱い、このかも普段なら止める所を見守るに留めている。

それが良かったのだろうか?

お風呂で明日菜に身体を洗われて、このかの用意してくれたホットミルクを飲み終えた頃にはネギも普段通りの姿に見えていた。

「じゃあ、ネギ、おやすみ」

「ネギ君、おやすみ〜」

「はい、おやすみなさい、明日菜さん、このかさん」

表面上だけとわかっていても気にし過ぎてはいけないとわかっているから。

明日菜とこのかは気にしつつも、眠りに付く。

何か言えるだけの経験も持ち合わせて居なければ、言葉も持ち合わせて居ないから。







深夜になり明日菜は目を覚ましたのは、泣き声が聞こえてきたから。

「ん、誰……ネギ?」

明日菜が問うものの、答えは返らない。

闇に目が慣れ始めた明日菜の視線の先、ネギは魘されていた。

歯を食いしばり、シーツを握り締め、身体を強張らせて嗚咽を漏らしていた。

普段なら甘えて明日菜の布団の中に潜り込んでくる子供が。

全てを内に溜め込み。

助けを求める声も上げず。

声を殺して泣いている。

どんな夢を見ているかなど、考えるまでも無いだろう。

「……ったく、こいつは」

溜息交じりに呟いてネギの眠るロフトに飛び移り、悪夢に魘されるネギを抱き上げてそのまま自分のベッドへと戻って行く。

明日菜がの体温を感じているからか、幾分寝息は穏やかになっているがそれでもまだその表情は硬い。

何かを求めるようにぎゅっと明日菜のパジャマの裾を握る手は、力の込め過ぎで血が指先まで通わずに真っ白になっている。

その姿に、明日菜は溜息を吐き出す。

それほど長い期間と言う訳では無いが側に居たから、知って居るのだ。

どれだけ大人びていて高い目標を持ち合わせていようとも、普段は知らぬ間に明日菜の寝床に潜り込んで来るほどに甘えん坊の子供だと言う事を。

今もこうやって明日菜にしがみついて人の温もりを求める、過去の悪夢に怯えるまだ幼いと言う言葉が十分に当て嵌まる子供だと言う事を。

だから明日菜は困ったような、嬉しいような、戸惑ったような、そんな複雑な表情を浮かべてゆっくりと一緒に横になってあやすようにその背を撫でさする。

母親がそうするように、優しく、優しく。

飽きる事無く、繰り返し。

だが、それでもネギの表情は未だ硬く、泣き声は収まらない。

(これは、どうしたもんかしらね?)

ネギを起こさぬようにと明確な言葉にせずに呟き、考える。

こう言う時にはどうすべきなんだろう、と。

まず脳裏に浮かぶのはTV番組やドラマで時折見る、母親の姿。

そっと抱き締めて、あやすように背を撫でながら子守唄を歌う母親の姿。

(そっか、子守唄だ)

そこまで思い浮かべば後は早い。

誰が歌ってくれたのか。

何処で聞いたのか。

そんな当然の思いでも思い浮かべぬままに、そっと明日菜の口からメロディが流れ出す。

明らかに日本語とは違う言語の、ただ腕の中の子を想う想いの篭った子守唄。

優しい、本当に優しい旋律の子守唄。

日本人にとっては本来不可思議な耳慣れぬ言葉の歌声は、ただ優しさに満ち溢れる。

ネギを想う、優しさの溢れる子守唄。







静かに、優しく響く子守唄の旋律が部屋の中を満たし、その声にこのかはゆっくりと眼を覚ます。

「……ん、あれ、こもりうた?」

寝惚け眼のまま明日菜の子守唄に耳を傾け、再び心地良さそうに眼を閉じようとしてふとその動きが止まる。

「あ、誰か……ネギ君が、泣いとる」

かすかに、本当にかすかにだが、子守唄に紛れて泣き越えが聞こえて来たから。

このかとてネギと共に居る時間は明日菜とそう変わらない。

幾度となく生死をともにした明日菜ほどに濃密な日々を送った訳では無いが、常識的に言えば十分近い位置に居た。

決意を内に秘めて何処か年に見合わぬ大人びた姿を見せられている明日菜よりも、誰より子供である面を見ているのだ。

だから、慰めてあげようと想う。

だから、少しでも安らかに眠らせてあげたいと想う。

だから、明日菜の声に合わせてゆっくりと子守唄を歌いだす。

子供の頃に歌ってもらった子守唄を。

子供の頃に歌ってあげた子守唄を。

今は、ネギの為に。







明日菜が子守唄を歌い始め、しばらくするとこのかの声が混ざり始めた。

眠っているはずのこのかの声が混ざった事に一瞬驚きはしたが、その驚きもすぐに消えて行く。

魘されて、辛そうだったネギの寝息が穏やかになってきたから。

重なった声はゆっくりと部屋の中を満たし、ネギを癒しているから。

穏やかな寝息と二つの歌声は混ざり合い、まるで教会で歌われる賛美歌の如く室内を満たして行く。

まるで、ただの部屋が神聖な場であるかのように、何者にも侵し難い空気を伴って。




ほぼ同時に歌声が途絶えたのは、三十分ほどの時が経った頃。

後に残るのは、穏やかな三つの寝息のみ。






ネギ・スプリングフィールドの目覚めは穏やかで、心地良いモノだった。

何か悪夢を見たような気もするが、それも寝起きの頭でははっきりと思い出せないほどに輪郭すら朧になっていた。

「ん、あれ、おか……じゃない、アスナ、さん?」

寝惚け眼で自分を抱き締めている明日菜を見て、何故か口をついて出そうになった言葉に首を傾げながらそっと抜け出そうとし、ビクッと痙攣するようにして身体を跳ねさせ固まる。

「ッ、これ、は、暴走オーバードライブの?」

全身を苛む痛みにカモの説明が脳裏を過ぎり、それに引き摺られるようにしてずるずると記憶が蘇って行く。

故郷の村を壊滅させた悪魔。

囚われた明日菜達。

共闘した小太郎。

そして、感情に引き摺られて暴走した自分。

明日菜達を巻き込んだ事に対する悔恨が心を苛む。

もし、ヘルマンが本気を出していたら、

もし、ヘルマンがもっと悪魔らしい悪魔だったら、

それ以前に、ヘルマンが別の目的を持って麻帆良に侵入していたら、

ここ麻帆良で、故郷の村の再現を見る事になっていたのだ。

表情豊かな3-Aの生徒達が皆、物言わぬ石像になっていたのかもしれない。

恐怖が頭をもたげる。

笑顔も、

泣き顔も、

怒った顔も、

見る事は叶わない。

笑い声も、

泣き声も、

怒鳴り声も、

あの子守唄も、

聞く事は叶わなくなっていたかもしれないのだ。

「……え、子守、唄?」

部屋を飛び出し知らぬ間に辿り付いた世界樹前の広場で立ち止まり、戸惑いを言葉に漏らす。

子守唄なんて、こちらに来てから一度も聞いた覚えは無いから。

だが、そんな疑問も即座に消えて失せる。

恐怖は変わらずにその身の内に存在しているから。

だが、ネギは気付いているのだろうか?

先までの恐怖に凍りついていた表情が、少なからず穏やかになっていると言う事に。

ただ恐怖に空転していた頭が落ち着いて来ていると言う事に。

まともに考えるだけの余裕があると言う事に。

「……はぁ」

まだ気付いて居ない。

子を守ると言う願いの篭った唄がその効果をわずかなりとも果たしていると言う事に。

恐怖に震える子を守ると言う願いが叶ったと言う事に。




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